「おっかないね。東郷進一郎が寮長だなんて」
隣のベッドに飛び込むどさっと飛び込む音がする。重い身体をよじり仰向けになった。自分がトドにでもなったような気がする。
「東郷寮長がおっかないってどうして?西野くんは何か知ってるの?」
「西野剛(たけし)。剛でいいよ。君は何だっけ?」
「藤日々希」
重い身体をのそりと起こした。
西野剛はというと、身軽に身体を起こしてベッドから腕をいっぱいに伸ばして日々希の手をつかんだ。今日二回目の握手だった。
八重歯を見せて西野剛はにっと笑う。
「東郷進一郎は東郷家の嫡男だよ。東郷家だよ?東郷警備保障HD」
東郷警備保障といわれれば、霊長類最強といわれたレスリングの女子選手がイメージキャラクターになっているCMがすぐに浮かぶ。
「あのCMの?嫡男って、長男のことだっけ?」
古風な言い方に戸惑う。
この調子なら庶子とか私生児とかでてきそうだった。
「当たり前だろ。まさか東郷といわれてピントこないのかよ?ちなみに俺は、西条グループの西野だ」
「西条グループ」
日々希はオウム返しに言った。必死で頭を回転させる。
「西条貿易、西条組、西条スーパー」
西条という名前を冠した会社はざっと五つは思い浮かぶ。真っ先に浮かぶのは、関西の最大勢力である指定暴力団組織の西条組である。
西野剛はそれに答えず、底光りする目で日々希をみていた。
「で、そういうあんたの藤は、なんの藤?どこのグループに属しているの?藤は聞いたことがないなあ。東郷でもないなら、西条でもないよね。なら、北条?それとも、南野?」
東西南北を冠した名前が西野剛の口からぽんぽんと飛び出してくる。
なにか誤解が生じているような気がする。
「僕は北条?でも南野?でもないよ。ただの藤家だよ。どこのグループにも所属していない。皆グループに所属しなければならないってわけなの?」
日々希は必死でパンフレットの中身を思い出そうとする。
記憶が正しければどこかに所属しなければならないという注意事項はなかったように思う。
うっかり見落としていた可能性も否定できないかったが。
西野剛は信じられないというように目を丸くした。
「あんた、何言ってるだよ。ここがどこだかわかってんかよ。大和薫英学院だぜ。日本の財界経済界、警察組織、裏社会を牛耳る源氏一族の子息子女が通ってくる学校だ。裏社会の西条家、警察組織の東郷家、財界経済界の北条家、宗教の南野家といったら古き流れをくむ源氏一族の四天王だ。
その次世代を担う子供はみんな、もれなく大和薫英学院に入るのが慣習となっている。有り体にいえば、この学校をでないとそれぞれの組織で上に上がれない。ここで培った人脈が大事なんだ。
だから、中抜けして留学なんかすることがあったとしても、小学や中学から入学する。俺は、兄貴が抜けたから、兄の変わりに急遽、高校から入ることになったんだ。俺じゃ、遅いぐらいだ。
東西南北いずれかの四天王につながらない一般が在学しないわけじゃないよ。賄賂をはらってでもお近づきになりたい親が己の子供を入学させる。
だけどそれはそれで、すんごい倍率でなかなかはいれないはずだ。苦労して入った学校でも、厳しい環境に脱落するものだっていると聞いている。それであんたは?本当のところは?」
「ぼ、僕は田舎から出たくて、ネット試験に合格したんだ。そんな源氏一族がこの現代の日本に存在していることも知らないし、どの方角?の四天王に所属しているわけでもない」
古き時代から源氏一族が連綿と存在するという都市伝説は聞いたことがあった。
PV数を稼ぐことを目的としたサイトで、町で起きたなにげない事件が実は巧妙に隠蔽されたテロ未遂事件であったことを暴露したり、日本国の混乱を防ぐために警察と暴力団は裏で実はつながっていることを糾弾したり、経済界も含めて日本を牛耳る源氏一族が巧みな情報操作をしているのだ、という眉唾ものの陰謀サイトだった。
日々希の言葉を真剣に耳を傾けていた西野は、一瞬の間の後に噴き出した。
「ネット試験!?なにそれ!ここ、そんなんやってたっけ?どこのクラスだっけ?」
返事を言う前に、西野剛は身軽に起き上がって日々希の机の上の資料を勝手に手にとり目を通した。
「総合クラスの2の方か。本当に般ピーなの?母方の姓はなんていう?」
聞かれてとっさに母由美子の姓が出てこない。一度も母が父と出会う前の話を自分にしたことがないことに今更ながら気が付いた。
「母の姓は知らない。パンピーって?」
母の衣装箪笥の中から見つけた封筒の宛名には、母の旧姓が書いてあったような気がする。
それにはなんて書いてあったか?思い出せそうで思い出せない。
「ここには特待生で合格通知がきたから入学することにしたんだよ。うちは裕福じゃないから」
「まじそれ!?」
西野剛は今度は背中からベッドに倒れ込んだ。
「特待生って成績がめっちゃ優秀か、理事長の推薦者でないともらえないやつだよ。藤ひびき、あんた、何者なんだ?般ピーで頭が良くて、その面だったら、あちこちからお誘いがあるだろうから気をつけてね」
よくわからないことを言う。
「お誘いって、なんの?だからパンピーってなんだよ」
「一般ピープルのことを略して般ピーっていうんだよ。この学校では、般ピーでも優秀なヤツは宙ぶらりんで卒業するなんてあり得ないよ。みんな、東郷、西条、南野、北条から仲間というか、下僕?というか、配下に引き入れようとするお誘いがあるということだよ」
「自分が優秀かどうかはわからないけど。それに入らないと駄目なのかな」
なんだか面倒な予感がする。
仲間ごっこをして、一緒にしょんべんな気分だ。
西野剛はいたって真剣にいう。
「どこかに潜り込めれば卒業後の進学や就職は安泰。
四天王に気に入られたら、将来、彼らのすぐ下で組織を動かす快感を味わえる。この学校なんかじゃなくって、日本国のだぜ?例えば、西条さんに気にいられたのなら、西条組がいやなら西条貿易関係に就職でもして世界中を飛び回ることもできる」
「……気に入られなければ?」
「気に入られなければ、主要な源氏一族の会社に入れない。それだけだ」
まさか入学そうそうに、人生の方向性を決めなくてはいけないなんて思いもしなかった。
決められないから、つぶしのききそうな総合クラスを選んだのだった。
「剛、まさか今の話全部冗談でした~なんてお茶目なことをいわないよね?」
「冗談でそんなこというか!」
西野剛は憤慨する。
はじめの愛嬌のあるかわいい男子のイメージはこの五分間でどんどんずれていく。
「でもま、今後の人生が決まるんだし、どこでもいいのなら、東西南北を見極めてゆっくり決めたらいいんじゃない?
俺は西野で西条派閥からは抜けられないけど、あんたは自由なんだろ?ある意味うらやましいよ。どこの派閥に入ったとしても、俺たちは縁あってルームメイトだし仲良くしようぜ。
あんたの、なんか、ぽわっとしたところ、気に入ったぜ?」
西野剛は歯をみせてにっかと笑った。
日々希も力なく笑顔を返した。
ぽわっとしたところとは、生まれ育ちが醸し出す田舎臭さのようなものなんだろうと日々希は思う。
楽しみだった高校生活はどうやら派閥争いが繰りひろげられているようである。
始まりもしないうちに、これからどうなるのか暗雲に翳るのを感じたのだった。