二年に進級してもクラス替えは行われない。
成績は中の上。特別良くもなければ先生に目を付けられるほど悪くもない。
雅春のクラスは国公立大学の医学部やら理工学部を受講する特進クラスではない。
授業に出席し学期ごとにあるテストを二週間前からコツコツと対策をたてそれなりの点数を取れば、エスカレータ式に大学に進み、希望の学部に入れて、その後は、その有名私学の名前をもってほどほどの会社に入社できるだろうと思われた。
僕にはそれ以上の欲はなかった。
子のために親が良かれと思って入れた、この中高大の一貫校に通うことが、子供としても僕の義務であり親孝行なのだ。
変わり映えしない学友のくだらない話題に相槌を打つ日々が続いていく。
そんな、五月の連休明けの教壇に立ったのが光村漸だった。
光村漸は、教育実習で母校に縁があって帰ってきました的な熱血、空回り実習大学生とは違っていた。
後ろで一つに結ぶ長髪は社会の模範となるべき教育者として規格外だった。二十も半ばは過ぎているようだった。そして翳りをおびた端正な顔だち。
かっ、かっ、と子気味よくチョークの音を響かせて黒板に名前を書いていく。
人生においてひたむきに何かに向き合い続けた者がもつ独特の、猫背の背中だと思った。
「光村漸(ぜん)です。ぜんは、車と斤(おの)で車に斧の刃を食いこませて切ることを意味する漢字です。割れ目にくいこむという意味に、サンズイを加えて、水がじわじわとと裂けめにしみこむこと。そこからすこしずつ進む、といった意味をもちます。
二ヶ月ほどの短い間ではありますが、皆さんと少しずつ歩みよりながら、今よりほんの少しいいなと思える未来にむかって進んで、共に学びを続けていきたいと思います……」
食い入るように顔を見つめる三十五人の生徒を前にして、光村漸はまったく気負う様子はなかった。
水平線をながめるようにするりと視線を教室に走らせる。
僕の顔も上滑りして通りすぎていく。
彼は誰にも注目しない。美人な女子にも、男子にもだ。
光村漸は、体に静かな空気の層をまとっているようだった。
君たちには興味がない。
教師の資格を取るには「コレ」はこなさなければならない課題だからくだらなくてもしょうがない。
くだらないことをくだらないものとして扱えば、「受け」が悪いだろう?
だからほどほどに頑張らせていただくよ。
君たちもそのように心して、問題を起さず問題を持ち込まず、何事もなくこの教育実習を無事に終えさせてくれ。
たった二週間のことなんだ。どうせ君たちの将来にはなんの影響もあたえることもない。
俺の存在が君たちに意味のあるものにしたいなんて、これっぽちも思っていないんだから。
なんて、光村漸の言葉にしない想いを、僕は勝手に脳内で補足する。
最近頭頂が薄くなりはじめた担任の山田が後を引き継いだ。
メタボ体系の身体からは常に汗が噴き出していて、ハンカチで額の汗を拭っている。
担任の山田はハンカチ先生と呼ばれていたが、最近は仲間内ではザビエルで通用する。
ザビエルは、教科書に登場するキリスト教を日本に伝えたイエズス会のフランシスコ・ザビエルの事だ。
「光村先生は、二年五組に担当していただくことになりました。美術工芸のクラスを受け持ってもらいます。何か質問などあれば、授業内容以外のことでもかまわないので、光村先生にするように。じゃあ今日からホームルームは光村先生に……」
クラスのみんなはザビエル山田のことなどそっちのけで、教壇に立つ光村漸を興味深々に見ていたのだった。
「あいつなんで年くってるんだろうな?」
普段、教師に興味など示さないカズヤが体を後ろにそらせた。
彼の後ろの席は、頬杖ついている僕である。
「さあね?遊びすぎて留年でもしてたんじゃない?」
僕は気のない振りをした。そもそも初めて会ったのだ。
彼のことなど、彼が説明した漸の字の意味以外、露も知らない。
光村漸の存在に、たちまちクラスの女子たちは色めきたった。
凪いだ水面に投げ落とされた小石が光村漸。
二年五組に波紋をもたらし、さらに外へ外へと輪を広げていく。
美術専攻の彼は授業に加えて、しなくてもいいのに美術部の担任も引き受けた。
僕たちの学校は、やたら学外活動に力を入れている。
文武芸術の三つの柱を看板に据えている。
不確実性の社会においては、感性や芸術、文学が道を切り開くということだそうだ。
全員が何かしら入らなければならないので、僕は美術部に所属する。
美術部のほこりっぽくもあり油っぽくもある、複雑な匂いが染みついた教室は、僕の授業後の昼寝場所だった。
誰にも邪魔されず安眠ができた。
一学期に一つばかり作品を仕上げておけば何もいわれない。
だが、光村漸が僕のテリトリーに足を踏み入れてきた。
限りなくのんびりと流れていた空気が小刻みに震えだす。
机に顔を伏せていた僕の前髪を乱した。
光村漸は波紋だけでなく、あちこちで小さなつむじ風を巻き起こしていた。
部活は二つ掛け持ちしてもよかった。
にわか画家志望の女子たちが、いきなり僕の避難場所、校舎の端の薄汚れた美術教室にあふれることになったのだった。