「わからないってどういうことだよ」
美術部の部活を終えて、帰宅についていた。
カズヤは横目でグランドをことさら見ないようにしている。
カズヤは中学までサッカー部のレギュラーだった。勉強をしっかりしなさいという親によりサッカーの本格的な部活動はしていない。サッカーと、僕の所属する美術部と、二つ掛け持ちをするが、片手間で楽しめるようなサッカーではない。
カズヤの家は少々事情ありだ。
母は上七軒の芸妓出身で、老舗のちりめんサンショ屋の社長の二号さんである。
僕の家は上七軒に近い町家なのでカズヤとはご近所である。
カズヤの腹違いの弟が中等部入学しているが、後をつがない弟は兄と同じサッカー部に入ってそして高校も続けることが許されているようである。
長男であるカズヤが家を継ぐためにはサッカーは不要。それよりも順当に進学しブランド大学をでることが大事だった。
サッカー部の仲間たちは残念がったが、レギュラーの座が一つ空いたことをひそかに歓迎していたのはまるわかりだった。
カズヤはしたいことができないやり場のない鬱屈した感情を持て余す。
それは時に彼のくっきりした顔立ち、生来の運動神経の良さに惹かれた女に向かう。
僕は彼女たちがジェットコースターのように絶頂からどん底におとされ、泣いてカズヤにすがるのを何度も見ている。
それを眺めて楽しむのが、カズヤの後ろ暗いストレス発散方法である。
「気があるかどうかは、そんなの眼をみればわかるだろ?」
カズヤが当然のように言う。
「手を掴んだという即物的なもので、気があるとかないとか、すぐそんなことにはならないと思うよ。それに至るまでに精神的な交流が必要だ。光村漸がハルの心の障壁をぶちやぶり、ハルが光村に禁断で背徳の道を進ませるだけの恋心を言葉にして伝えられるならば、互いの精神が交感すると同時に恋に落ち、手をつなぐという即物的な触れ合いにはじめて意味が生じる」
なにやら難しいことを、犬養敏郎、通称トシがいう。
犬養家は国政を担う政治家の家系である。
トシは美化委員会の活動が終わり合流したのだった。
校門をでる直前でもうひとり、合流した者がいる。
「お前は本の読みすぎだろ。そんなこ難しいことではないんじゃないかな。ちょうどいい繁殖期の男女がそろえば、しかるべくしてしかるべきことが起こる。オスだけの場合は、オスの一部がメス化する。ファインディングニモのクマノミがその例だし、飼育下ではカブトムシはオス同士で交接することがあるけど、すぐに引き離さなくてはいけないんだ。それはなぜかというと……」
そう言ったのは三好真尋、ヒロである。彼は下賀茂神社の近くの豪邸の息子である。家は何をしているか詳しくは知らないが、実家は金持ちであることは確かだった。
ヒロが話し出したら止まらなさそうな話題である。
僕はヒロの話の前半部分だけ受け取った。
「じゃあ、やっぱり女子に協力してもらう?」
僕は、女子に人気のある教育実習生の先生とただならぬ関係となり、将来を台無しにする事件を作り上げるのに協力してくれそうな友人の顔を思い浮かべようとする。
そんな女子はひとりもいないのだが。
「カズヤの別れた彼女とか協力してくれるんじゃない?」
僕は言ってみた。とたんにカズヤの顔は渋る。
「嫌だね。俺は女に弱みを握られたくない」
「じゃあ、女がだめなら僕よりカズヤがやった方が成功率が上がりそう」
トシとヒロと、僕の視線がカズヤに集まった。
恋愛に関しては、カズヤは別格の頂点。僕たちは底辺だ。
僕たちの悪事のリーダーはカズヤだった。
多少鬱屈したものを抱えていても、女を惹きつける男はたいてい男も惹きつける。カズヤは面白いことを見つけ出すと、ひろいあげ、細工し、遊んでみせる。
授業を抜け出して体育館の裏でタバコを飲むことも既に試し済みだった。
たった1回でタバコは箱ごとゴミ箱に直行したけれど、醍醐味はそこではない。
面白かったのはたばこを手に入れる過程である。それぞれの思い描く大人の格好をして、コンビニで何番ということだった。どこそこのコンビニの店員は年齢確認にずさんそうだから新人のバイトに違いないとか、調べ、実行してみたりするのが楽しかったのだ。
ある意味、意味のないものに手を加え命を吹きかけるのがカズヤだった。
僕たちは喩えるならば、彼の取り巻き、信奉者のようなものだ。
彼といるときだけ僕の退屈な日常の輪郭がくっきりとするような気がする。
僕たちは暇で時間を持て余し、退屈しているのだから。
今回のカズヤのターゲットは教育実習としてやってきた光村漸だった。
カズヤは僕たちの顔を見比べてから顎先に手を置き沈黙した。
それが彼が考えているポーズだ。
「俺はそりゃ、気のある気のないはわかると思う。ちょっとこっちが気のある素振りをしてみせたら、ザビエル山田だって、俺をだきしめたりすると思うけど、そんなありきたりじゃ面白くないだろ。だから……」
カズヤはにやりと笑う。
「案外ハルはいい線いってると思う。お前のこと聞きにくる先輩だっているんだぜ?なんていうか、何を考えているのか知りたくなる、魅惑的な目をしているそうだ」
それは初耳である。
ぷはっとトシとヒロは笑った。
ハルとは藤崎雅春。僕のことだ。
「先輩と話でもしてみたら、相手が気があるかどうかなんてわかるようになると思うけど、どちらかというとその気にさせるテクの方も身につけたほうがいいと思うな」
トシのいった事前に必要なお互いの精神的な交感の部分は、カズヤは無視である。
「ハル、その気にするところだけでやめとけよな」
ヒロは笑いを押さえて言った。
笑っている割には真剣な目をしている。
「飼育下のカブトムシのオス同士がくっついているのを見つけたら、すぐに引き離さなくてはいけないんだ。そうじゃないと、命の危険があるからなんだ。男性器が凶器となって腹を突き破って、メス役のオスを殺してしまうんだから」
僕たちと分かれる直前に、ぞっとすることをヒロは言った。