中央スクリーンに得票を獲得した名前が下位から順番に一気に表示されていく。 100位の一票から名前が挙がっている。 山口は目を凝らした。 教育現場において、生徒間で人気投票し、それを公開するというのはきわめて興味深いと思う。 今回の場合は、司会の学生が言ったように、人気グループのエグゼスと戦わせてみたい、という視点で投票がされたのだとは思うが、実質的にはそれ以上の内容を含んだ投票結果となるのだろう。 誰か一人に投票するとなると、VES対決という趣旨に添わせることはもちろんであるが、投票する側には確実に他の要因が入り込んでくるのである。 好きか嫌いか。 その人を見ていたいか、そうでないか。 応援したいか、そうでないか。 人気というものはふわっとしたものである。 投票される側は何も立候補された限られた中から選ばれるのではない。 全員が対象で、その中で多くの票を集めようと思うならば、日頃の存在感が大いに作用する。 学業成績、運動能力、クラスの活動、日頃の発言、人徳、交友関係、、、。 先生からの信頼度も影響するかもしれない。 それらに順位を付けられるのだ。 現在の潮流は、生まれながらに平等といった間違った平等主義がはびこっている。 男も女も同じ。 足の速い者も遅い者も平等である。 そんなはずはないではないか。 生まれながらに平等というのは絵にかいた餅である。 実際には子供は親を選べない。生まれ落ちたその時からいろんなことが決まってしまう。男か女か。美しくうまれついたかどうかでも違う。 才能があるなしでも違う。 生を受ける時代でさえも。 どんなに取り繕っても、人の生まれ持った資質は異なるのだ。 その事実をひた隠しに隠してみんなおんなじといって玉石混交をそのままに育てる。次第に石に摩耗され玉も輝きをうしなってしまう。 そして、平等意識を骨