(95)目撃

2673 Words

和寿がそのカフェに足を向けたのは、そのホテルの屋上にヘリポートがあり自由に利用できる権利を持っているからであった。 さらに、ダンスの講師のスタジオと近いところにありその講師が立ち上げからコンセプトに協力していたこともあり、講師にレッスンの後に寄ってくださいねと、何度も熱烈に誘われていたからである。 男性講師は、学んだことを実戦で試せるよい機会ですよ、と付け加えたことが決定打となった。 オープンから雑誌にも取り上げられるそのトロピカルカフェは、バリを意識した開放感あふれる異空間に仕上がっていた。 足を入れると、食材で提供しているのであろうフルーツの甘く濃厚な香りがする。 その中で寛ぐ客はほとんどが女性の友人たちで、あとは恋人同士だろう。 和寿と北見のような男二人などどこにもいない。 一番目立たないところの大きな観葉植物の影に、二人は陣取った。 ダンスの講師は、滑るように踊っていた。 競技ダンスのときとは雰囲気が違う。 講師のホールドも柔らかい。見る者を威圧しないように心がけていることが、この数週間みっちりと叩き込まれた和寿にはわかった。 「うわあ、素敵……」 そんなため息とともに賛辞がつぶやかれている。 「あとでわたしたちも踊れるんだって」 ここでは完璧なものなど求められていない。 一曲が終わると、拍手がぱらぱらと送られる。 次からは素人の客も参加ができるのである。 基礎も何もない、適当でも許される、くだけたものになっていく。 日常を超えたところの優雅なひと時を、パートナーと楽しんで過ごせればそれでいい、そんなダンスである。 頼んだベトナムコーヒーを飲み終えるまで、和寿はコンセプトの南国の雰囲気を味わうことにした。 和寿にはそもそも、あえて日本でどこの国ともいえない作り物を体験などする必要もないからだ。 みるともなしに始まったダンスに

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