「そこはあんたの席じゃないだろ?」
「さっきのあいつの席でもないだろ?藤日々希も桜を見に行かないのかよ?誰からも誘われず、教室で独りでふて寝ってダサいな」
「そういう和寿くんこそ、寝た方が良いんじゃないの?目のクマが……」
和寿は頬杖をついて、ノートに耳を張り付ける日々希を見下ろす。
記憶の和寿よりも健康そうになっていた。
「目のクマが……薄くなった?」
和寿の薄い唇の端が上がる。
「ああ、あんたのおまじないが効いた」
「おまじないって?」
「あんたが野良犬から助けてくれたときに、こうやって手を添えてくれただろ?」
そういいながら、和寿は日々希の手をとり、その手を正真正銘のキレイな顔に押し付けた。
川嶋や西野の顔にあるニキビは一つもその肌にはない。
なめらかでひんやりとしていた。
「これが、おまじない」
「はあ?」
といいつつ、日々希はそのままその手を振りほどけないでいる。
手の平に触れる頬があたたまっていく。
ほわっと和寿はあくびをした。
「……ほら、すぐ眠くなる。これがおまじないでなくてなんなんだ?」
日々希と同様に、ことんと机に頭を乗せた。
そのまま寝るらしい。やっと手が解放される。
教室には誰もいない。
他クラスのヤツがいても誰も気にしないか、と日々希は好きにさせる。
まだ、和寿には睡眠が足りていないようだった。
「和寿は何年でクラスはどこなの?」
目を閉じたまま和寿は面倒くさそうにいう。
「一年総合1。あんたの隣の教室。あんたは目立っている。ひとりブレザーなしだし」
「ああ、ボロボロだったから処分した」
血もついたし、は言わないでおく。あれから保健室を探して先生に縫ってもらったのだ。
和寿の目が開いた。
アーモンドの形をした目は睡魔にあらがい、虹彩が揺れる。半眼ながらも真剣な色を帯びている。
手を伸ばして、日々希の左手に添えた。
「…… あのときはありがとう。怪我の具合は?ひどいのか?」
「大丈夫。抗生剤飲んだから膿んでもいない」
「そう、良かった」
再びことん。
自習時間が終わるまであと20分。
日々希は体を起こす。
この難問を解いて終わりにしようと思う。
「それ、先にAの解を求めるといいんじゃあない?そしてBを求めて、それをxに当てはめてyを……(省略)」
寝言のように和寿は続けている。
「え?この問題のこと?」
和寿のまぶたは動かない。
「そう。数学は得意なんだ。お前、つまずいているようだから……」
日々希は言うと通りに式を作ると、答えは簡単に導ける。
和寿が頭脳明晰であることが判明する。
「なあ、和寿。僕ってきれいなのか?あんたもそんな顔してとかなんとか、いっていただろ?」
「ひびきはあらためてみれば平均よりましなぐらいだから、自惚れるな……」
いつのまにか、下の名前で呼ばれていた。
ましな程度とは笑える。
森の中ではもう少し評価が高かったからキスしたのではないか、と問い詰めたくなるが、聞こえてきた寝息に、気概をそがれてしまう。
「まあ、いっか」
そして、自習時間が終わる。
教室がざわめいている。
クラスのみんなが遠巻きにしている。
顔をあげると、ビックリした剛の目とバッチリあった。
「おい、この人、なんでここに寝ている?」
「え?眠いからじゃないの?起こす?」
「ひびき、こいつは、この人は北条和寿だ!」
人混みを分けるように、背の高い男が割ってはいる。
まっすぐに北条和寿を目指してきた。二年生の名札を付けている。
目付けの北見だ、と小さなざわめきが方々でおこっている。
その北見は日々希に一瞥もくれず、和寿の肩をゆすり体を起こした。
「こんなところに、いましたか。行きますよ?ここは、あなた様の教室ではありません」
「北見か。もう少し寝るからこのままにしておいてくれ」
「ですから授業ですから!他のクラスに迷惑をかけてはいけません」
北見に引きずられるようにして北条和寿が出ていくのを日々希たちは見送った。
「なんで、四天王の北条和寿がひびきの横で寝てたんだ?」
「北条和寿って、北条家の?四天王だったんだ」
「驚くのはそこ?違うだろ?問題はそこではなくて…… 」
「?」
剛がいったい何を言いたいのか、日々希はピンとこない。
「四天王は下々と無駄話をしない。ここにいる生徒にとっては、いわば神のごとき、孤高の存在なんだ。それがひびきになついている!?」
「はあ、普通の人間が神のごときなんて大変だね?」
見当違いの反応に、まどろっこし気に剛は頭をふった。
「だから!ずれてる!違う!大変なのはあんたの方!北条和寿のお気にいりは嫉妬される。北条に見初められたい奴らにいじめられるぞ?」
「まさか」
剛の言う内容は冗談のようにしか思えなかったが、その目と声色は本気だった。
「いや、別に、そういうことにはならないんじゃない?僕はお気にいりってわけじゃあないし」
日々希は慌てて否定する。
「一度目なら偶然と思ってもらえるけど、こういうことが二度三度続けば、ほんまもんだ。だから……」
気を付けろと剛の目がいっていた。