赤レンガの校舎の廊下を四天王たちが行く。
彼らのそれぞれ異なる迫力と美貌に立ちむかえる学生たちはいない。
彼らの前に道ができる。
彼らの後ろには友人たちが続き、風をきる。
「四天王の北条和寿と西条弓弦(ゆずる)は同級生で総合1組。俺らは総合2組。東郷進一郎は三年の総合クラス1組、南野京子は二年で総合1組。他のクラスの者たちがどこに属するかは、名前に東西南北がはいっていたりするからおおよそのことはわかるからな」
西野剛は基本情報を日々希にいれる。
彼が耳に入れてくる情報は彼の一番の関心事、この学園を牛耳る四天王のことである。
「だけどは、名字が東郷だったり、西条だったりしても、本家でない場合があるから気を付けて。各家には本妻の子以外に婚外子もいたりする。それに本家分家という家内で勢力を争う場合もある。それで本家であっても優秀な分家に取って変わられることもある。実力が全てだからな」
「……だから?」
「だから誰につくかは慎重に見極めていかなきゃならない」
「ふうん?」
西野剛が熱心に話す割には日々希は興味がわかない。
自分とは縁のない別世界の話のようである。
剛は日々希のうわの空の反応を意にも介さず、興奮気味に続ける。
今年は、北条、西条、南野、東郷の四つの家がそろう。
四天王全員が高等部に揃っているめったにない年で、かれらのリーダーになる王が決まるとかなんとか。
「……彼らは学内で密に競争をしているんだぜ?だれが四家で一番優秀か、若いうちに同世代のマウントをとっておこうっていうわけ」
日々希にはあまりに浮世離れした話である。
「ひびき、ほら、今廊下を歩いているよ?お前、本っ当に興味なさげだけど、大和薫英の学生なら顔ぐらい知っとけよ!彼らが社会に出たときみは俺たちにはもう言葉もかわせないほどすごい奴らになるんだぜ?」
それは剛の親切心でもある。
全校生徒の誰もが知っている四天王を知らないで、このまま何事もなく卒業できるとは思えないのだ。
知ったときが、取り返しのつかない失礼なことをしてしまったときだとすると、悔やんでも悔やみきれないじゃないか、と剛は思っている。
日々希は席を立たずに顔だけ向けた。
廊下側の窓は大きく開かれていた。通りすぎる一群がいた。
窓側を大柄な男が歩いていた。ブレザーのボタンを留めず、ネクタイは首にかけているだけである。
顔は教室に向けていない。隣を歩く友人の方を向いていた。
奥には彼と比べると随分小柄な男がいる。
手前の男が大きすぎて顔がわからない。
「背の高いのが西条弓弦。俺の将来のボスだよ」
教室からうかがう視線を感じたのかくるりと顔を日々希のいる教室に一瞬むけてた。その一瞬に西野剛は背筋を天井に届かせるかと思うぐらい伸ばした。そして友人たちを連れて行ってしまった。
日に焼けた肌が男らしい。
だけど物騒な目をしていないか?
何かいわなければいけない期待を感じて、日々希は感じたまま西野剛にいう。
「そりゃそうだよ!西条組の組長の息子だぜ!堅気の基準で考えてもらっちゃ、困るよ」
「ふーん?そういうもんなの?剛のとこも堅気ではないんでしょう?おんなじ業界なのに随分雰囲気が違うなあ」
崇敬の念がこもる目をして西条を追っていた剛は、日々希の言葉に傷ついた顔をする。
「そりゃ、迫力は違うよ。彼は頂点。うちは支流の傍流の、枝先の、爪先。天と地ほども違う。だから俺はこの三年間に賭けてるんだ。西条弓弦とお近づきになって、昇るんだ!」
日々希には暴力団の階層を昇り詰めたい剛の気持ちは全くわからない。
「だから、がんばるよ!」
剛は席を立った。彼らを追いかけていくらしい。
西野剛以外にも教室から出て行く者たちがいる。追っかけの生徒は多いようだった。
次の授業は自習時間である。
先生方の緊急ミーティングが行われているらしい。
監督する先生方がいなくなって、クラスの半分以上が教室の外へと解放されていた。
日々希は独り教科書を開く。
本来のこの時間は数学であった。
問題を解き始めた。数学は得意ではない。
「藤くん、ここいい?」
集中していた日々希は、はっと顔を上げた。
隣の席に、外部入学の川嶋が席を引く。
気の弱そうな雰囲気が漂う。
彼は隣の教室の一般クラス1組だった。
「みんな、この春の陽気につられて外に花見しにいっているよ。僕も行こうと思ったんだけど、教室の前にきたら、藤くんがいるから」
「いいよ、誰もいないし座って」
いつの間にか、教室は日々希ひとりになっていた。外で騒ぐ陽気な声が聞こえる。
自習とは自由時間と同義の意味のようだった。
川嶋は図書館で借りてきたらしい分厚い本を机に置いた。
彼は外部入学の中で一番内気そうで大人しいタイプである。
「みんな教室から出ていったのに、自習ってエライよね」
愚痴でもこぼしたい気分なのかなと日々希は思う。
「僕は、将来も決まらないし、特待生だから成績ぐらいはまともな感じでいないとやばそうだし。勉強に打ち込めば余分なことを考えなくてすむから」
「藤くんがどうして特待生?って思ってしまうんだけど、成績はどこかの派閥にはいっても重要だしね。僕が藤くんをすごいなって思うのは、周りに流されないで自分を貫けるところ」
日々希は鉛筆を置いた。
とても数学の難問に取り組めない。
しみじみと語る川嶋を見た。
「川嶋くん、もうホームシック?それとも悩みごとでもある?僕でよければ聞くよ。もっとも聞くだけだけど。吐き出したら楽になるんじゃない?
うじうじ度が増している気がする。
促されて、川嶋は堰を切ったように話し出した。
「この数日間、みんなのように派閥にいれてもらおうと思って頑張ったんだけど、全然歯牙にもかけてもらえなくて、もうどうしたらいいかわからなくなって、せっかく頑張って勉強して受験して、大和薫英に入学したのに、どこの派閥にも入らず卒業してしまいそう。そうなったら今まで頑張ってきたことが意味ないような気がしてきたんだ」
川嶋は深刻そうである。
「それって、はじめから派活をしていない僕にいう?」
「だって、ルームメートの今野くんとかに言っても泣きごというなって逆に怒られそうだけど、藤くんなら聞いてくれそうだから」
「そりゃあ聞くけどサ。まだ学院に来て数日だろ?そんなに焦ってお近づきにならなくてもいいんじゃあない?それより、今は中間試験に向けて頑張って、よい成績を取ってそっちで目立てば、逆に四天王の方から川嶋くんに勧誘があるかも?さっき、自分でも言っていたでしょ?どこに所属しても成績は大事って」
川嶋は目をぱちぱちしばたいた。
顔に赤みが差していく。ちゃんと届いたようだった。
「そうだね、今は焦らず勉強だよね!ありがとう、きれいな藤くんにそういわれると頑張らねばって言う気持ちになった。また、愚痴聞いてもらってもいい?」
勝手に満足し、川嶋はパタンと本を閉じる。
席を立ちかけた川嶋の腕をつかんだ。
「ちょっと待て。僕のこと、今、きれいって言った?そういえば、そんな面して、とか言われるんだけど、僕の顔ってきれいなのか?」
川嶋はぱっちりと目を見開き、踏み出した足をとめた。
「え?藤くんはとてもきれいだよ?今まで言われたことないの?」
「これまでの人生の中で一度もいわれたことない」
日々希は考えた。
「きれいというよりも、かわいいとなら何度も言われたけど」
「かわいいって何それ。それってやばいんじゃない?誰に?」
川嶋は声を潜めてためらいがちに訊く。
「母さん」
一瞬の間の後、川嶋は声をあげて無邪気に笑った。
彼は年相応でほっとする。
西野剛のように野心的でなくて、入学式の日の午後に泉のほとりで出会った和寿のように秀麗でも危険でもない。
学院には四天王は別として、日々希の学生生活を有意義にしてくれる友人となれる者たちがたくさんいるのだろう。
「僕もそういえば母さんから何度も言われたよ。藤くんは、北条くんや南野さんのように、きれいで目立っているよ?僕の一般のクラスでも、女子たちが藤くんのこと見て騒いでるし。え?知らないの?」
川嶋は顔を赤くしている。
男にきれいだよ、というのは勇気がいるのだろう。
「じゃあ、そろそろ何かアプローチがあるかもね。じゃあ、僕もちゃんとクラスに戻って自分の席で勉強する。まだ肌寒いから風邪を引かないようにね」
呆然とパタパタと教室を出ていく川嶋を見送った。
再び教室は日々希ひとりのものとなる。
日々希は机につっぷした。
きれいってなんだ。
いわれたことがぐるぐる回る。
日々希は一度もきれいなんていわれたことがない。
キレイなのは、千々に朝日を照り返す水面、朝露。
そして、桜の花びらを頬にのせる、あの少年。
彼は目の隈さえなければ元の顔はずっときれいなはずだった。
「……なんだ、殊勝にも勉強してるのかと思ったら、ただのお昼寝タイムかよ?」
聞き覚えのある声。思い描こうとしたその少年の声だった。
なぜに顔をみなくても一声でわかってしまうのだろう。
「寝てない。ちょっとばかりショックを受けただけなんだ」
突っ伏していた顔を横に向ける。
つい先ほどまで川嶋が座っていた席には、あの、和寿が座ろうとしていた。