鼻にかかる甘ったるい声。 トイレを待ってもらえなかった彼女だろうか。 彼女を置いていくなんてひどい彼氏だな、と思う。 日々希は振り返る代わりに、背後から走ってくるその女子のために道を空ける。 とはいうものの、彼女を置いていく薄情な彼氏の姿はないんだけど?と頭をかすめる。 日々希の腕に何かが滑り込み絡まった。 何が腕に巻き突いてきたのかがわからず驚いて右腕を見ると、シンプルなカットソーにジーパン姿、髪を後ろでぎゅっとひっつめた女子が、自分の胸を押し付けるようにして日々希を見上げていた。 どこか大人になり切れていないふっくらとした頬に、精いっぱい背伸びしたような化粧をしている。 大人びた子。 20歳手前ぐらいかと見当をつける。 人違いだった。背後から呼びかけていたのは彼女だった。 彼女は、日々希をハル君と取り間違えている。 長いまつげの奥の目は、責めるような、懇願するような、不思議な力のある目をしている。 誰かに似ていると思うが誰かわからない。 一瞬見とれてしまったそのすきを彼女は見逃さなかった。 すかさず人間違をしていることに全く動じなず、大きな声で言う。 「もう!言い訳なんていいから!一刻も早く会場へ戻りたかったんでしょう!待たせて申し訳なかったわ!始まっちゃう、急ぎましょう!」 彼女は今度は、日々希の手をとり引きずるように走り出そうとした。 「え……?えええ??」 わけがわからず、かといって振りほどけもしないでつんのめりかけた日々希に、ジーパン女子は顔をすり寄せた。 「ごめん、悪い人たちに追いかけられているの。トイレで撒くつもりで逃げてきたの。このビルの外まで一緒についてきてくれたら本当に助かる」 「悪い人って……」 「いいから、人助けと思って。もう時間がないの」 トイレの前で待っていた黒服は、もしかしてやばい組織の者なのか。